Love, Sweets & Yoga

京都在住アラフィフ一般女性の日記です。ヨガはやってません。

人生の転機について

小学校の時から勉強だけはできる問題児で、発達の足りない部分を勉強と本で読んだ知識で全力で補完してるような子どもだった。勉強ができても地元にはそれに見合う女子向けの進学先はなく、とにかく鬱屈してた。全国模試で県下2位をとっても地元公立中学確定、そこから進学できる地元の高校は総合選抜の横並びだし、先が見えていた。

1980年代前半の地元公立中学は、ヤンキーが積木をくずしたり盗んだバイクで走り出したりしてる世界であり、案の定いじめられたし、学習意欲もすっかりなくなり、授業中はずっと回し紙にBL小説を書いたり、ノートでゲームブックを作ったりしていた。高校は公立高にその年からできた進学コースに入れたけれど受験勉強はロクにやらなかった。なんとか地頭だけで大学に入り故郷を離れることに成功したものの、他人とのコミュニケーションも一人暮らしに必要な手続きも、とにかく年相応の社会的スキルは何もかも持ち合わせていなかった。ゆえに、大学に規則正しく通い単位を取得するということもできず、劣等生として周囲に心配されながら1年留年してどうにか卒業した。当時、知らない会社に電話をかけて話すことが怖くてできなくて、だから就職活動もしていない。1993年の世界では電話ができないと死ぬ。

それでも運良く研究室のOBが経営してる企業に研究職として採用してもらえた。しかしやはり求められる仕事はまったくできず、本来やるはずだった特許取得には失敗し、なんとかお情けで会社に籍だけは置いてもらえたけれど、営業事務OLとして倉庫の在庫管理する仕事に変わった。何度数えても在庫の数は合わず数えているうちに眠くなり倉庫で眠ってばかりの日々、指導係の先輩とはソリが合わずストレスと酒量が増えていった。

でも、お酒が入れば他人と話せる。どうでもいいことで盛り上がることもできる。音楽だけはできたから楽器を持ってれば知り合った人とセッションできる。会社が終わって飲みに行ってからが自分の人生で、会社では死んでいた。今にして思うと、そんなクズのような人間を採用した社長が気の毒だ。

あのまま生きてたらどうなってたんだろうと思う。本当に恐ろしい。

さて、当時通ってた飲み屋では、店が終わった後に麻雀をよく打ってた。ある日、常連のうちの一人、とんでもなく麻雀が上手い人に「今度、麻雀メーリングリストの大会があるから参加したら?」と誘われた。20代の女の子なのにそこそこ打てる、というので面白がられたのかと思う。それが1996年ごろの話。

在学中、私の出身大学でネットワークに接続されてたのは情報系の学科だけだった。学生のころに付き合っていた人が情報系だったから研究室にはよく遊びに行ってたけれど、隣の研究室の友達とパソコンの画面でチャットしてるのを見て「直接行ったほうが早いのに」って思ってた。私も、ワープロ代わりにノートPC*1は持っていたけれども、世間で騒がれてるインターネットのことはよくわからなかった。

だから、メーリングリストが何かも知らず、麻雀をするためだけに麻雀大会に参加した。ところが、そこに集まった人々とは、酔っ払っていなくてもコミュニケーションができた。話すことが理路整然としてるし、自分の話すことをきちんと理解してくれる。学生時代の数少ない友人や先輩みたいな人たちが相当数存在するということにびっくりした。

そして、そこに、自分の好みにジャストミートの男性がいた。朴訥な感じでしゅっと背が高くて麻雀の打ち筋の品がよく負けても物腰が穏やかな感じだった。ちょっと年上、たしかどっか大手系列のSIerで働くプログラマだったと思う。何度か卓を囲む機会があって、だんだん好きになった。そこで思いついた。メーリングリストに入ればいつでもメンツ募集できるし、ならば、パソコンを購入したりインターネットに接続する手伝いを彼に頼めばデートの口実になるじゃん!

ちょうど暮れのボーナスが出たところだった。下心全開で大阪は日本橋に一緒に出かける約束を取り付け、パソコンを買った。コンパックのデスクトップで、たしか17-8万円ぐらいしたと思う。ハードディスク1.6GB、モデムの速度は28800bps。それでも「最近のマシンのスペックはすごい」とか感心された。そして翌週には、自宅に彼を呼んで接続を手伝ってもらったり、いくつかおすすめのソフトをインストールしてもらい、メールも送受信できるようになった。ここまでは首尾よくいった。*2

そこで、これからも彼と個人的にやりとりをするルートを確保すべく「わからないことがあったらメールで聞いていいですか?」と渾身の上目遣いで尋ねたところ「僕に聞くよりも、ネットニュースで質問すれば詳しい人が親切に教えてくれるよ!」とニッコリ爽やかに言われたのである。

完全に脈がなさすぎてクラクラしたものの、まあ、好きな相手の言うことだからと、確か当時はNetscapeにニュースリーダの機能がついてたと思う、それでいくつかのニュースグループを巡回するようになり、ついでにニフティサーブのフォーラムにも出入りするようになり、使い勝手のいいソフトがあるといえばダウンロードし、メーリングリストにも入り、さらには主宰するようになり、数ヶ月のうちにインターネットの人になってしまった。

その後、会社でも「インターネットに詳しい人」というポジションになり、ECサイトを作れとのミッションを受けたりするうちに、「ホームページ(HTML3.2)」を作ってKENTさんのCGIぐらいはカスタマイズして設置できるようになり、それが今の仕事にまでつながることになる。

だから、自分の転機って言えば、明らかにインターネットだし、それしかない。子どものころからの根強い対人恐怖はテキストベースのコミュニケーションで補助線を引くことで克服できたし、インターネットの人には話が通じた。話が通じる人が世界中にいることを知った。それに、不特定多数に対して発言すれば誰かが反応してくれるというのは画期的だった。誰かに声をかけるタイミングをはかったり、話しかけても大丈夫そうな人にあたりをつけるのが本当に苦手だったから。

何より最初にアクセスした情報源がネットニュースというのがよかった。実名も所属も明らかにした大人同士がガチでマサカリを投げ合ったりバカ話をしたりしていた、あの空間で自分の価値観は育まれたし、あれが自分のルーツだと思う。あれがなければ、こんな形でインターネットのコミュニティ上に生きる人生になってない。

だから、パソコンを買いに行くのに付き合ってくれた彼には本当に感謝している。もしも、彼が私の狙い通り「わからないことがあったら何でも聞いてよ」とか言っていたら、普通に考えてネットニュースにはたどりついていないし、それがなければ人生違っていたし。まあ、そういう無責任なことを言わない人だから好きになったのかも知れない。負け惜しみみたいだけど。

彼はその後会社を辞め渡米してしまって、しばらくはやり取りがあったけど、メールアドレスが変わったりして音信不通になった。元気にしていたらいいなって思う。


#わたしの転機

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*1:日英MS-DOS5.0の乗った東芝ダイナブック

*2:その時に窓の杜とかvectorとか教えてもらえたのも今にして思えば本当によかったし、セットアップの時に別売りのメモリを買って増設するのもやってくれた。あれのおかげで「パソコンの中身は自分で開けて必要な機器を増設したりできるものである」という認識が最初からあったのもいろいろよかったと思う