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そうでない人がそれなりにやっていくブログ

一重まぶたの自分がそれなりに救われた美容tips

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このへんの話題。

まず、ルッキズムを完全に否定しきるのは難しいと思う。他人をブスと言うことに対して怒りを覚える人であっても、他人を美しいと評価することはむしろ良いことと考えているし、何らかの美の基準で「美しい」と評価することは、その基準を満たさない人を「ブス」と切り捨てることと表裏一体であるから。まあ、他人をブスと罵る人はむしろ精神状態が心配だしカウンセリングでも受けたほうがいいんじゃないかとも思うけど。

「一重とか二重とか気にしたことがない」という人も案外怪しい。そもそも「ぱっとしないモブの顔なんてよく見てないし、目に映る主要キャラクターは全部二重のぱっちり目」というだけではないか、と疑ってしまったりもする。「女の子はみんなかわいいよ」という人が、実は「かわいい女の子しか見てない」っての、すごくある。容姿にコンプレックスある女なら、おそらく「いないことにされた、空気にされた」というアレをわかってもらえると思う。私自身、若い頃は容姿でいじめられたり*1不利を被ってこじれているので、そのへんはむっちゃ引っかかる。

とはいえ、自分も好きになる男性に対しては一重とか二重とか気にしたことない。むしろ、古田新太とか浅野忠信とか骨格がしっかりして目が細い系の顔が好みだし、だから気にしない人も一定数いるとは思うけど。

とはいえ、思春期ごろの自分にとっては本当に深刻な悩みだったから、今、お年玉ぐらいの値段で埋没法の手術受けられるんだし、もし私が10代ならカジュアルに整形してたと思う。そして顔の下半分もブサイクなことに気づき腹回りや太ももの肉もヤバいとなって整形沼にはまっていたかもしれない。まだ自分の世代では整形のハードルが高く、失敗例ばかりが喧伝されていたので手を出さなかっただけで。(歯列矯正は外見だけでなく磨きづらくて虫歯頻発するので30越えてからやった。やってよかった。)

要は、私はルッキズムに毒されているし、美しさに憧れ、美しくなりたいという欲望にとらわれて生きている側の人間だ。そこを否定するのにも欺瞞を感じる。人は顔というか外見で判断してる部分がすごく大きい。ルッキズムを問題視している当のNHKの女性アナウンサーだって二重まぶたの美人ばかりだ。*2美人だからつける職業や美人が有利な職業はこの世にたくさんある。一般企業の営業だって美人が有利と言われるし、美人広報だの美人事だの美人すぎる議員だの持ち上げられてる人はたくさんいる。美人ではないということで職業選択の自由や活躍できる範囲は狭まる。

さらに、美醜が関係ないジャンルで活躍しメディアに出てる女性も、ことごとく美人かブスかで評価される。目立つと「ブス」と言われるのであれば、そんな有名税払いたくない。本当は目立ちたいし活躍したいんだけど、そうやって気持ちが折れてる女も多いんじゃないだろうか。

とはいえ、自分自身、数十年そうやって生きてきて、現時点ではそこまで顔のコンプレックスというのは大きくなくなってきた。そのエピックとなった出来事を思い出してみる。

顔筋のトレーニング

子どもの頃に読んだ美容本に、サングラスが似合う人とマスクが似合う人と真知子巻きが似合う人というのがあった。目元に難がある人はサングラスで美人見えするし、マスクをかけて美人になる人は口元が残念、真知子巻きで輪郭隠すと化ける人は骨格が問題、そういう分析方法なんだけど、自分の場合、全部アウトだった。

そこで、自分の口に締まりがないことに気がついた。歯並びが悪かったし、アレルギー体質で鼻が詰まりやすいので口呼吸だったことの影響なんだけど、ここに早く気づいて良かった。口を閉じて口角をあげる訓練をそこから初めて、今ではデフォルト口角が上がっている。10代前半の自分に感謝している。

その後「フェイスニング」というのが流行って、おでこにシワが寄らないよう鍛えるというのもやった。目を見開く時、一重まぶた勢は眼輪筋を十分に使わず、おでこの筋肉で目を見開いている。これを意識すると眼輪筋が鍛えられて目元の雰囲気は変わってくると思う。人によってはまぶたの肉が落ちて自然に二重になったりするらしい。私はならなかったけど腫れぼったい印象は緩和されたと思っている(加齢の影響もあると思う)

美人練習帳―素顔をつくりかえる『フェイスニング』!

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資生堂レシェンテのCMにりょうちゃんが出た時の衝撃


資生堂 CM - レシェンテ パーフェクトルージュEX - 1994

今、りょうさんは年を重ねて二重ラインが出ているけれど、若いころはほぼ一重に見える目だった(奥二重かもしれないけど)。あっさりした目元にしっかりめの顔の骨格とふっくらした唇という顔のバランスが自分と近くて、そういう顔の人が化粧品のイメージモデルになれることに衝撃を受けたし、真似してベリーショートにボルドーリップやってみたら冴えない自分も少しおしゃれになったようでうれしかった。

リップを買いにいったときに京都大丸のBAさんに唇の形をすごく褒められ、たっぷり目のリップラインをきれいに引いてもらえて嬉しかったこと、25年経った今も鮮明に覚えている。身内以外に外見を褒められたのなんてそれが初めてだったし、リップラインは口角を上げる努力によって自分で作ったものだったから。

芸能人の影響を受ける若い女子をバカにする向きもあるかもしれないけど、若いうちの「美のコード」というのは案外画一的で、自分の個性なんてのをしっかり持てる人はそんなに多くない。メディアによって驚くほど影響される。「似ている芸能人」は一般人にとって美の足がかりになりえる。私はあれで救われたと思っている。なので、できれば多様な人がメディアに出てほしい。

ていうかよく笑うよう心がける

結局これなんだ。冷たく見えるとかクールに見えるのであれば、意識的に大きく笑うようにすれば良い。大笑いすると誰もが細い目になって、目の大きさなんて関係なくなるのだし、一重だ二重だという以前に「良く笑ってる人」という印象になる。

「女の子はいつも笑顔でいなさい」「笑顔がいちばんかわいい」という教えは「媚び」の文脈で笑顔を捉えていて好きになれないけれど、自立や強さと笑顔は両立するし、ある種の武器でもあると思う。もし、そういう安い教えへの反発から笑顔を封印している女の子がいるならば、自分の笑顔を取り戻そうぜと言いたい。どんな逆境に対しても余裕の笑顔ができるなら無敵だと思う。

適切なシェーディング


資生堂 CM - レシェンテ ムーンカーブシャドー - 1990

同じくレシェンテ、これは宮沢りえさんがCMに出ていた「ムーンカーブシャドー」という名品があった。眉を描くパウダーとシェーディング用パウダーがセットになってるもので、優秀なブラシで鼻の付け根のカーブのとこにシェーディング入れるんだけど、これがあるとないとで大違い、顔がしゅっと締まる。目元の印象を決めるのは、単なる線の有無ではなくて立体感の問題だというのが適切なシェーディングによってわかる。

「これがないと自分の顔にならない」という化粧品がたまにあるものだけど、多くの人にとってムーンカーブシャドーはそういう位置づけだったと思う。

私の場合、アゴも小さいクチゴボ族なので唇の下の凹みとあご裏にもシェーディング足してる。他人からはほぼわからないけれど、自分の顔のバランスはこれで形成されている。

こういうシェーディングは影色でなくてもよくて、たとえば全顔ツヤ肌で仕上げた時、シェーディングポイントだけマットな粉でツヤを抑えるだけで、少し引っ込んで見えてシェーディング効果が発生すると、資生堂プレイリストのメイクアドバイスシートで教えてもらった。

あのサービス終わっちゃったけど、2000円で第一線のアーティストのアドバイスが受けられてすごく良いものだった。

適切なチーク

目が大きくない人は、どうしても顔の余白が広くなる。なので、適切なチークで顔立ちが突然変わることがある。東急東横店のマディーナ(イタリアのファクトリーブランドで粉ものの粉質がすごくよかった)にいた桜井さんというBAさんに自分では絶対手に取らない、プラム転びのテラコッタチーク(NARSのドルチェヴィータをもっと濃くした感じの色)を大きいブラシでふわっと入れてもらった時に開眼した。桜井さんのおかげで人生変わったと思っている。

よかった書籍

自分史上最強にかわいくなる! 一重&奥二重さんの劇変メイクブック

自分史上最強にかわいくなる! 一重&奥二重さんの劇変メイクブック

雑誌の一重メイク特集って、下まぶたに変な色使ったモードメイクとか「え、これ可愛くないじゃん」って、気持ちが萎えがちなのが多い気がするけど、この本にはむちゃくちゃベーシックなメイクの方法が書かれてて、イラストなのがかえってわかりやすくて良かった。

というのは、一重まぶたの美しさは写真映えしづらい。これは背が低い人とちょっと近くて、リアルではふつうにおしゃれ、かわいいという印象でも、メディアに出ると足が短く見えたり頭が大きく見えたりしちゃう。一重美人も写真だと残念っぽく見えがちな傾向あると思う。

Rumiko’s make‐up book―RUMIKOのメイクアップブック (扶桑社ムック)

Rumiko’s make‐up book―RUMIKOのメイクアップブック (扶桑社ムック)

これはRMKブランドをだしたばかりのころのRUMIKOさんのメイクブック。現在絶版だし、たぶんさすがにメイクが古いとは思うけど、一重まぶたのモデルさんの雰囲気がメイク後に激変していてすごくかっこよかった記憶がある。メイクの可能性を可視化してくれて嬉しかった。

アイラインは隠れてても意味はある

アイライン隠れる選手権みたいなハッシュタグがあった。あれを見て思ったんだけど、鏡の前では隠れているアイラインも表情の動きでちゃんと見えるので意味はあるし、まぶたがかぶさって隠れた部分も普通にメイクするのがいいよ。

美のプロはやっぱプロ

とはいえ、とても当たり外れが大きくて、体感的に90%ぐらいのアーティストやBAさんは一重まぶたに対応できてない気がする。なので、もしカウンターでトンチキなメイクされても諦めずにプロを探してほしい。かつてリップラインをきれいに引いてくれた京都大丸のBAさんはやはり涼しげな目元の方だった(一重か奥二重かはわからなかった)ので、そういう親近感持てる顔立ちの方を探して担当にするのが良いのかも。あと、資生堂は一重に強いという印象がある。

老化しづらい

若いころ気づかなかった事実として、地味顔はメディア映えはしないけどリアルでは美人という評価を受けることもあり、年を重ねた時に老化が目立ちづらい。年取るとやさしそうという印象にもつながったりするから、長いスパンで美を考えてほしい気はする。

ただ、眼瞼下垂にならないようまぶたはいじりすぎないほうがいいし、シワはでづらいけどアイケアはしっかりしたほうがよさそう。

★★★

美容って、呪いの沼にもなり得るけど、自分の美しさを知る解呪手段にもなり得るから、いい感じの情報にアクセスできてほしいし、やっぱり一重まぶたの女の子を応援できるようなメディアを美容情報を発信する大人は責任もって作るべきなんだろうなとも思う。有名なメイクアップアーティストさんはだいたい「一重まぶたも個性、魅力的」というわりに、一重のモデルを使わないの無責任だと思う。ああいう人たちにちゃんと一重モデルをメイクしてもらう特集を組みたい。

最初に「なんらかの美の基準があれば、基準を満たさない人はブスということになる」と書いたけど、美の基準がむちゃくちゃ多様であれば基準を満たさない人もいなくなるし、美醜で評価することをタブー視するよりも、むしろそういう方向を目指したほうが幸せではないかと思う。

今、焼き物で言ったら「華麗な絵付けがされた九谷焼が美しい」という軸しかないわけよ。そこに萩焼とか出てきたら「何これ、土じゃんwwww 絵ぐらい付けろよwwwww」ってdisられるわけ。でも実際には無数の美しい陶磁器があるし、割れたのを金継ぎしたとこに美意識を感じたりもする。そりゃ、九谷はゴテゴテして嫌いとか、わざわざ歪んだのありがたがるのよくわからんとか個人の好みはあると思うよ。でも、少なくとも良い悪いではなく好き嫌いでの評価軸じゃん。人の顔もそれくらいの多様性をもって美しいと感じることができないものだろうか。「ナニ焼とか言って器の見た目にこだわるのアホやん、100均一のプラ食器のほうが割れなくて便利だし、紙皿は使い捨てられるから楽じゃん」みたいなのは味気ない。ルッキズムの完全な否定って結局そういうことになりかねない。

そういえば、この間「クチゴボとアゴの梅干しで悩んでるんですよー」とぱっちり目の美女に言われた、まあ、たしかにじっくり見ると口ゴボだったけど、自分から見ると「目元ぱっちりの美人さんで羨ましいなー」としか思ってなかったわけよ。

どうも、人は他人の顔を見る時に自分のコンプレックスポイントを見て羨んでる傾向がある。鼻で悩んでる人から見ると、鼻筋がしゅっとしてる人が美人だし、肌で悩んでる人は、肌がきれいな人が美人と思ってる傾向あるんじゃないかなー。だから自分も誰かにとっては羨ましい美人として映ってる可能性はあるし、卑下せず生きていったほうがいいと思う!

*1:まあ容姿ばかりでなく、コミュ障かつ多動もその要因だったと今では思う

*2:ところでかつての男性アナウンサーは太ってたりハゲてたり、それなりに容姿に多様性があったけど、いつのまにかシュッとしたイケメンばっかりになっていて、男女差別は是正されたけどルッキズムは是正されていない