Love, Sweets & Yoga

すみません、ヨガはやってません。

食洗機と食器と家族で家事をやること

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前提として1人暮らしとか、ある程度の食器リテラシーのある大人で構成されている家族であれば「食洗機不可のやつはちゃちゃっと手洗い」という運用もできるし、100均とか業務用の安食器はたいてい食洗機対応なのが当たり前なので、そこまで生活にこだわりのない人は最初から食洗機不可の食器なんて持ってないと思うし、神経質に「使いこなし」を気にする必要はないと思う。とはいえたまに堅牢性にかけるガラスが爆発して事故る事例がある。デュラレックスとか平気だと思ってずっと食洗に突っ込んでたけどなあ。乾燥のときの熱風の温度とか吹き出しの強さとか要素はありそう。うちはリンナイのビルトインのやつ。

冒頭に挙げた記事は、時短家電を投入して自分が使いこなすという話ではなく、家族で使いこなす、具体的には「食後の食器は食洗機にいれる」「洗い上がった食器は収納する」という習慣を家族チーム全員ができるようにする話だと思う。だからといって業務用の雑な食器ではなく、ちゃんとした良いモノ、自分内ライフスタイルプロデューサーに叱られないもの、できれば写真映えするものを目的に応じて使いわけたい、そういう前提あっての記事だと思った。なるほど、だから、みんなイッタラとかニトリの北欧っぽい食器使いがちなのかと理解した。

子どもだけじゃなくて、食器リテラシーの持ち合わせのない人(=ふつうの人)は 100均の皿と作家ものの皿の区別はつかない。プラスティックと漆器の区別もつかないし、ステンレスと銀器の違いもよくわからないことがある。「これは食洗オッケー、これはNG」って区別をつけるのには、それなりのリテラシーが前提になるということ。家族、特に子どもにそこまで求めるのは大変。不用意に食洗機不可のものを混ぜて洗い事故ると「そんな高価な食器にこだわるのがおかしい、怒られるから最初から何もやらない、文句言うやつが分別して食洗機に入れろ」ってことになり、結局時短にならないしすごいストレスがたまると思う。うちの娘も家にいるときは食洗機で事故るのを怖がって手洗いしてた。確かに、自分の皿が割れるのは自分で始末すればいいけど、親の皿のどれが割っても平気なやつで、どれが割れたらまずいやつかわかんないしねえ。

これは洗濯も同じことで、日頃「カゴに入った洗濯物をドラム式洗濯機にいれてボタン押したら洗濯完了」みたいな様子をみていると、気を利かせた子どもや家事に習熟してないメンバーが高価なカシミヤのセーターとかも同じように洗濯機に突っ込むという事故が発生する。なので、家族の服を全部タンブラー乾燥オッケーのやつに統一するということになる。昔結婚してたとき、配偶者がスーツを洗濯機に突っ込んで洗い絶望的な気持ちになったことがある。ワークマンのスーツならそういう人でも大丈夫なんだろうか。
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うちの兄は割れる食器が大嫌いですべてを金属とプラで賄っている。逆に、うちの母は金属やプラの食器を極端に嫌っていて、この2人は同居できない。しかし、どうして兄が割れる食器が嫌いかというと、たぶん幼い頃に母が大切にしている食器をお手伝いしたつもりで雑に洗い、割ったり欠いたりして叱られたのが原体験だろうと思う。私のほうも、食器趣味はあるものの母とは美意識が違うので、母が料理を作ってて気を利かせてお皿の支度をする→「あー、それじゃなくて」ってダメ出しされる→もう出さない、みたいにはなってる。結果「あんたらは何もしない」と愚痴られる。

堅牢でシンプルな食器で統一してしまえばそういう不幸も起こりづらいだろう。汁物にはお椀、おかずにはお皿、大皿料理のときには取皿、子どもでも迷わずお手伝いができて合理的。子どもだって割れるものを丁寧に扱う習慣をどこかで学ばないといけない。「雑に扱わなければ割れることはないが、明らかに雑に扱うと割れる、もし割れても同じものが買える」というものとしてイッタラはなかなか良い選択だと思う。

こういう「自分内ライフスタイルプロデューサーに叱られない」というのバカにする向きもあると思うけど、生活の美学みたいのはどんなに雑な人でもきっともっている。だれにでもプロデューサーはきっといる。汚部屋に住んでてもアイロンはちゃんと当てる人、穴の空いた服は平気だけどスーパーの惣菜は買わない人、そういう凸凹もあって、そのラインがどこにあるかは人それぞれだけどもそこを否定して徹底的に合理化するとあるところで生活が荒廃する。工夫して最低ラインを守っていくのは大事。サイゼリヤのワイングラスがガラスだったときは「このコスパは異常」って思って飲んでたけどプラになって「値段相応だな」って思うようになった。中身は変わらないけど体験の品質が全然違う。とはいえ、これは個人の感覚だし「べつに違わない」と感じる人もいるとは思う。