Love, Sweets & Yoga

アラフィフ一般女性の日記です。ヨガはやってません。

「ちょうどよさ」

自分の思う「ちょうどよさ」って、なんだろうかと考えてみた。

無理がなく、背のびもなく、さりとて卑下もしない。
誰かから何かを搾取してなりたつものではなく、持続可能性があって、ことさらに目を引かず、人の笑顔の妨げにならない。
自然に見えるけれど自然には成立しない、さりとて杓子定規な規範にとらわれもしない。
うまく説明できないけど感じがいい。ちょっとかっこいい。でも、かっこよすぎない。
最高を追い求めるのではないけど、妥協でもない。「それでいい」ではなく「それがいい」なのだ。

とはいえ「肴は炙ったイカ"が"いい」って言っちゃうかというと、いやそこまで「イカがいい!」って主張するほどの強さはなくて、やっぱり「イカでいい」と言ってしまうかもしれない。それでも、生牡蠣でもウニでも金目の煮付けでもなくて、ここは炙ったスルメイカの一夜干しだよなーという、そういうところに「ちょうどよさ」はある。

もしも、あいにく「イカ終わっちゃったんですよ」っていわれたら「んじゃあ、おすすめなに?」って言って出てくるものに期待するのも、またちょうどいい感じだと思う。そういう出会いをやわらかく楽しみたい。

考えてみると「最高」を選ぶのは財力にものを言わせればできると思う。でも、自分にとっての「最適」を選ぶには知恵がいる。そういう知恵を養いたい。それは、自分の中で積み重ねてきたものを編集するような作業だと思う。

たとえば、自分は爪をだいたいベージュ系の半透明の単色で塗ってて(めだたない細かいラメやパールは許容内)、長さはネイルベッドから2-3mmぐらい。それが一番落ち着くのがわかった(たまにネイルアートっぽいことをやってみるけど何だか自分らしくなくて続かない)のだけど、そういうのをいろんなところで見つけていきたい。

生活面で今年やろうとしていること

  • ベランダにローズガーデン作る(京都に来てからはやってなかった)
  • 服の趣味にもうちょっとうるさくなる(間に合わせで服を買わない)
  • 恋人にちゃんと休肝してもらう(というか、一緒に休肝日を乗り切る)
  • いったことのない場所にいく(去年、いろんなところにいってよかった)
  • 収納からあふれてるものを見直す(家は自分の器なのであふれるべきじゃない)
  • 体重減らす(毎年言ってる。自分の服の趣味と体型があってないと思う)
  • 野菜食べる(坂の途中さんの宅配頼んだ)
  • 好きなこととかもの、生活の話をもっと書く(ブログ移転して書きやすくなった)
  • 写真うまくなる コンデジ持ち歩く できれば買い換える
  • 携帯キャリア見直す(通信費がかかりすぎてる)
  • ガチャは控えめに。無駄遣いしない。というかお金のこともっとちゃんとしたい。
  • ヒールある靴で通勤距離歩けるようになりたい(3kmぐらい、前は平気だったのに。靴を選べばできるんだろうか)
  • 謎の慢性的な身体の痛みを治したい
  • 着物着れるようになりたい

あたたかく、やわらかく、ゆるぎなくありたいものです。

新年

年末には、いつものインターネットの人々の忘年会があって、親戚の集まりみたいだなと思った。

年に一度ぐらい会って、仕事の話とか暮らしの話とか聞いて。しばらく合わないうちに若者がすごい成長してたりするのを見たり、そういうのはなんかちょうどいい距離感って感じがする。同じくインターネットの集まりで、毎年秋口に泊りがけで合宿っぽいことをする仲間がいて、そっちも親戚の集まりっぽい。

どうも、地縁血縁の代わりにネット縁みたいなものが一般的になりつつあると思う。ギークハウスみたいな感じのがテレビに出ると一部の特殊なライフスタイルのように言われたりするけど、そういう人間関係は結構普通にあると思う。

大晦日、なんとなく年越しで飲み会するのが恒例だったけど、ことしはなんか年末バタバタしてて計画立て忘れて、近所のインターネット友達とお寿司屋さんに行って紅白を見た。これもネット縁+地縁というやつで、インターネット上で地域情報を交換していると地元のネット友達というものが自然にできる。

家に帰ってきてskypeで新年の挨拶をしたら安心して眠くなってしまって寝た。久々の熟睡。

しかし、恋人がとても遠くに住んでるの、大丈夫かと思ったけど案外良いものだった。それぞれの生活が続いていくなか、たまに連絡してほっとしたりするのが何だかちょうどいい。いつでも会いにいけるぐらいの近くにいると、たぶん会いすぎてお互い疲れてしまうんじゃないかと思う。昔そういう失敗をしたこともあるし。

元旦は実家に帰って、兄とお酒飲んだ。昨年酒燗器もらって、それについてたアルミちろりの使い勝手が今ひとつで、ずっと錫のちろりが欲しかったんだけど、実家にドンピシャのが死蔵されてたのでもらってきた。うれしい。

で、二日は家飲み。三日は娘とカラオケ行ってサイゼ行ってあっという間に年末年始が終わった。休みが足りない。

今年の抱負

自分なりのちょうどよさを大事にしたいです。
体力も時間も無限ではないので、その条件の中でもっとも自分を幸せにする選択をしていきたい。

読んだ

60代 シンプル・シックな暮らし方 それは、小さな工夫の積み重ね

60代 シンプル・シックな暮らし方 それは、小さな工夫の積み重ね

まだ先の話だけど、自分は何かとスロースターターなので今のうちから老後の暮らしはイメージしておいてちょうどいいぐらいだと思って。元義実家は完全に収納破綻ハウスだったし、実家もけっこうひどいし、自分も注意欠陥マキシマリストである自覚はある。

この本、私はすごくいい本だと思ったんだけど、amazonのレビューが賛否両論。ドライな語り口だし、特に人間関係に関して突き放し気味だし、紹介する商品の銘柄だけではなく、サイズまできっちり書いてるところとかちょっと嫌悪感持つ人もいるんだなと思った。でも、私にとっては、ふわっといい感じのほっこり丁寧な生活を紹介しているのではないところがよかった。

レビューではどっちかというと書かれている内容に対して道徳的な是非を問うようなものもあったけど、それ以前のところでなんかみんな傷ついてるような感じだった。暮らしを細かく分析し「こういう理由で私はこうしている」ということを鋭く書くこと自体によって、自分のやり方を否定されたように感じる人も多いのだと思う。

暮らしは人それぞれの細かいこだわりの積み重ねで、あるやり方の効率の良さを説けば説くほど、そのやり方ではない人を傷つける可能性をはらむ、そういう感じがある。(そういうところで傷つくのもなんか違うと思うんだけど。しょせん人は人だし。)

なんかそういうこともあって、世間がどうあれ、とにかく自分に最適化していこう、という気持ちを新たにしたのでした。

卓上カレンダーの話

昨年からデスクカレンダーを自分で買うようになった。

もともと、ある企業からいただくカレンダーがとても使い勝手がよくて、毎年使ってたんだけど、会社のメンバーも増えたりで、いただくものを必ずしも自分が使えるとは限らないし、そんな中で「某社さんのカレンダー来たらください」って言うの、ちょっと踏みとどまってしまった。

遠慮というより、今後、某社さんとの取引が永劫つづくとも限らず、カレンダーの仕様が変わる可能性もある。お世話になった方からいただいたものをありがたく使うといううちはいいんだけど、それを毎年のこととして期待して待つのはなんか違う気がした。

というか、そこまで清らかな話ではなく、もっというと、もらえなかったときに「今年はなかった」って思って年を越すのがなんだか嫌だな、と思った。新年早々ミソがつく感じもするし、自分の一年を外部都合に任せたくない。

冷静に考えると、カレンダーは1年使うものでもあるし、気の利いたものがいくらでも売ってる。せいぜい1000円ぐらいのこと、ならば、自分の好きなもの、使い勝手の良いものを厳選して使うよう気持ちを切り替えた。それが去年。

去年選んだのはこれ。クオバディスのプレステージライン。アイボリーにダークレッドのアクセントが効いてて好きではあるんだけど、日曜始まりはあまりライフスタイルに合わないというのがわかった。

今年はコクヨのキャンパス。

だいたいカレンダー通りの仕事だと、国産カレンダーは土日祝がわかりやすいというメリットがあるし、お値段も手頃。前月と翌月のミニカレンダーがついてるのも便利。クオバディスは翌月のカレンダーだけしかついてなくて、「前月の第二水曜日って何日だっけ」みたいなときに遡らないといけなかったりしたので。

「ありがとうの対義語はあたりまえ」みたいな話で、もらえるものを期待してはいけないと自戒している。期待した時点で「あたりまえ」になる気がする。あたりまえと思って好意受け取るのはちょっと何か(運とか徳とかいう漠然としたもの)を削ってる感じがする。