Love, Sweets & Yoga

すみません、ヨガはやってません。

近況

連休、なんか精神的に落ちてて、ずっとFFCCやり込んでた。ソロで。

アーティファクトが大分そろったのでそろそろラスボスにアタックしにいくべきなのはわかっているけれど、アーティファクト全部揃えてレア装備も作りたくてダラダラと周回している。アルテマ武器とそれぞれのステージに対応した耐性装備つけてたら、魔物に囲まれることだけ避ければ突破できる。

ゲーム自体は今やるとかなり物足りない部分もあるけれども、あの世界観はかなり好き。世界は瘴気に覆われ、安全地帯みたいないくつかの集落でしか人が暮らすことができず、集落の安全を保つために毎年毎年キャラバンが旅をして、無事に村に帰ってこれたら盛大に祭りを行う。ゲームではそれを永遠に繰り返すこともできるし、その状況自体を打開しようと頑張ると無事エンディングになる。

このゲーム、全体に命の重みが軽い。世界がそういう状態になってたら命の重みなんて当然軽くなるんだけど、ゲーム全体に漂う美しい風景や牧歌的なトーンからは殺伐感がなにもないのに、よく考えると怖いよな、みたいなエピソードがすごい多い。後からじわじわ来るような。

しかし今後(それは嫌だけども)毎年のように変異したウイルスが発生して、わりとカジュアルに感染して身近な人が死ぬ、みたいになるとそのうち命の重み自体も変わっていくんだろうかね。

私の母の弟は小学生の時に医療ミスで死んでいる。喘息の発作を起こして、学校の保健室で薬を注射されているのに、その連絡がなく、主治医が二重に注射してしまったのらしい。今だと学校や医者を訴えるところだけど、そのちょっと前には戦争で人はボコボコと死んでいってたのもあり、母も祖母もその件については淡々とした感じだった。

自分も50歳になり、命が軽い時代の手触りをかろうじて覚えている最後の世代かも知れない。従軍したり、空襲の中、幼い子どもの手を引いて逃げた祖父母の話を直で聞けた最後の世代。

その主治医の先生は私の子どものころはすでにおじいちゃんであったけどもまだ現役で、やはり喘息持ちの私の主治医でもあったのだ。ちゃんと効く薬を全然出してくれなかったのはその時のトラウマなのだろうか。どうにも収まらない発作の時には別の病院にかかってた父の薬を流用されてた。今考えるとひどい話だと思うし、下手したら私も死ぬところだった。

私の母方だけでなく父方も喘息持ちでいわばエリート的喘息持ちのはずだったのに実家をはなれたらぱたっと治ったのも意味がわからない。家にアレルギー物質があったのか、それとも気候が悪いのか。(今も実家に泊まるとかならず咳が止まらなくなるけれど、ハウスダストに弱いので泊まりに来るまえに母が掃除をしたり寝具を出したりするのが原因だとは思っている)

秋口に明石や神戸に行くと、今でもなんか喉がいがらっぽいような気がする。毎年この季節にはかならず発作が出ていた。